夢見ること、その肯定――宝塚宙組『アナスタシア』感想

 少し前に、宝塚宙組『アナスタシア』を宝塚大劇場で観劇しました。完全に周回遅れですが、自分用のノートとして観劇メモを残しておきます。

 実は人生2度目の宝塚でしたが、確り楽しみました。

 

1.総論感想

 いいお芝居でした。脚本は面白く、役者はうまい。演出・美術は噛みあって迫力ありますし、歌も安定。お芝居を構成する一つ一つの要素が全体的に良い、そんな作品に感じられました。宝塚を見慣れているわけでは決してなく、見こぼしてしまった魅力もたくさんあると思うのですが、そんなミリしら状態でも見やすく、飲み込みやすく、わかりやすい。エンタメとして本当に良い舞台だったと思います。

 フォックスのアニメーション映画(1997年公開)を原作とするブロードウェイミュージカル(2017~2019年)を、更に宝塚に持ち込んだものとのことですが。元がアニメーションだからなのか、映像を使った演出、衣装・美術は、上品さを保ちつつ全体に色鮮やかでロマンティックな印象でした。キラキラ輝く演出に、決して役者が負けない、むしろしっくりと馴染むのは凄いですね。さすが宝塚。

 声で、姿で、たたずまいで、舞台の全てを納得できるのはお芝居とよい役者を見に来た醍醐味でした。こういうお芝居をたくさん見たいものです。

 

2.役者について

 星風まどかさんのアーニャ。彼女は声よし歌よし姿よし芝居よしのすぐれた役者さんなんですね。気高く強く美しく、それでいて親しみやすくなつかしい、本物のお姫さまであるアーニャは、歌舞伎で言うなら赤姫の役どころですよね。赤姫のような役どころが持つ高貴さや心映えの美しさ、思わず好きになってしまう愛嬌に、現代的な意思の強さを加えたキャラクターがアーニャなのかな、と感じました。

 ディミトリの真風さん。全体にディミトリはアーニャに対峙する「受け」の演技が多い中で、一瞬も崩れないスター性を客席に伝えてくる(姿!声!顔!)。トップスターかくあるものか.....と感じました。気障だけどどこかなつかしさがあるディミトリを好演されてたと思います。かといって、少なくともアナスタシアの真風さんは、周りの他の役者全員の印象をかき消してしまうほど自分が輝くタイプというよりは、周りとのバランスの中でこそ輝くタイプに見えまして、そういう意味では、意思の強い星風さんのアーニャとはいいコンビだなと思いました。
 
3.夢見ることについて
 ロマンティックで印象的なシーンが多いこの舞台で、最も美しかったシーンを1つ挙げろ、と言われれば、私は第一幕のラストシーンを選びます。すったもんだした挙句ロシアを飛び出したアーニャとディミトリが、肩を並べて丘の上からパリを眺めるデュエットです。犠牲の記憶が多すぎる故郷を後にし、新しい世界を目の前にした二人が寄り添う様子が、観劇から時間が経った今も鮮烈に思い出されます。彼らの恋の行く先が物語の主題の一つではあるにせよ、あのシーンで彼らを支えるのは「夢」とも言うべきもの、であるように感じたからです。
 ディミトリとアーニャの最初の動機は偽証でした。ディミトリは外面を偽り続けた詐欺師で、老マリア皇太后を騙すことが彼の当初の目的ですし、アーニャは記憶喪失で、彼女自身が何者かを説明する過去を一切持ちません。観劇前、あらすじだけ読んだ私は、一体どうすればこの主人公たちに好感を抱くように物語が転がるのか、正直なところぴんと来ませんでした。それにも関わらず、この舞台は決してそのような感情を惹起しません。その理由は彼らの、失われた愛を求める心の柔らかい部分が、こことは違う場所・違う人生を思い描く「夢」が、切実に迫ってきたからです。その夢は、確固たる意志に支えられた強固なものというよりは、むしろ夢想という言葉に近い淡いものでしょうし、だからこそ切ない類のものです。家族を愛し、故郷を愛し、そしてアーニャの幸福を心から願うようになるディミトリに純粋さを見いだせるのはまさにこの「夢」を見る心でしょう。
 更に脚本がうまいのは、新天地で失われた家族愛を求めるアーニャの「夢」と、アーニャと家族の再会を心から願うようになるディミトリの「夢」に、「アナスタシアが生きている」という伝説を語り継がせた無数の人々の「夢」がオーバーラップすることです。年端もいかない少女が残虐に殺された事に対して、いくら王族とはいえなんて哀れな、できるものなら生きていてほしい、生きていたとしたら……と夢想した人が少なくなかったから、アナスタシア伝説は遺骨をDNA鑑定させるほどの力を持ったのでしょう。アーニャは、人々の「こうあってほしい」という願望、夢だからこそ切実な思いが成立させるヒロインとも言えるかもしれません。
 そして作劇上、彼らの「夢」を儚く仕上げるのは、老マリア皇太后の芝居です。頑なに、もうアナスタシアを名乗るものとは会わない、と主張する演技も、アーニャを目の前にして揺れる心情の描写も、とても重要なのだと思います。彼女は、愛する家族を一時に失った苦しみの中で、どうかアナスタシアが生きていればいいという夢想を、何度も何度も裏切られた失望の深さを、けして多くはない登場シーンの中で客席に伝えなければならない役柄です。彼女の悲哀が、葛藤が、強ければ強いほどディミトリとアーニャの「夢」は輝きます。
 そして物語は、アーニャとディミトリが誰も知らない未来へ歩いていくラストで閉じられます。夢見られたヒロインは、夢見られた王子様と一緒に生きていく。物語のお姫さまは、王子様とふたりで、幸せに生きましたとさ、めでたしめでたし、という、心からの祝福です。宝塚版『アナスタシア』が、夢に過ぎないとしても、それでも夢見る事は捨てられない、そういう業めいた心情を重ねた物語であるとすれば、このエンディングはそのような「夢」を見る心の肯定を示すのでは、と私は思います。
 小説であれ、映画であれ、観劇であれ、虚構を傍に置いて現実世界を生きている私にとって、夢に満ちたこの舞台はとても楽しいものでした。
 
4.その他印象に残ったシーン
 
・冒頭の舞踏会シーン。生で見るとドレスが翻るさまが美しい。
・ロシア出国の際の人々の歌。二度と戻れぬ亡命の旅に出る貴族達は、これから優しかったころの故郷を慕いながら生きていくのだと思うと胸を打つものがありました。
・第二幕ラスト近く、グレブとアナスタシアの対峙。グレブの「夢」の終わりであり、アーニャのお姫さまとしての完璧さがすごみすらあるシーンでした。
・マリア皇太后登場シーンは全場面が好きです。